思いやりとエゴの境界線

サポートしてくれようとしているのか、コントロールしようとしているのか分からなくなる時がある。私の望んでいることをおそらく予測して、頼んでもいないことをしてくれるけど、もちろん予測なのでそれは外れる。何もしないでほしい。こちらが頼ったとき、できることをしてくれたらそれで十分なのに。私を助けようとしているように見えるが、自覚がないだけで実際はエゴを押し付けているだけな気がする。だから素直にありがとうとはならない。仮に私がそんなのは要らない、ありがた迷惑だと伝えたとて、良かれと思ってやったのに、心配だから、あなたのためを思って、なんて言葉が返ってくるのは安易に想像できる。それってあなたの感想ですよね。

言われたときはそこまで気にならないのに、あとになって思い返すとおかしいことに気が付いて、腹が立ってくるけど時間が経っているので言い返すこともできない、ということがよくある。頭の回転が遅すぎるのだろうか。悔しい。悔し涙を流しながらノートに殴り書きしたけど、これで発散できているのかは分からない。ずっと家に篭りっきりで、両親か病院の人としかまともに会話しない生活が続いているし、明らかに他人とのコミュニケーション不足なのだと思う。ストレスが溜まっているんだなと俯瞰している自分もいる。

手術が終わったのでそろそろひとり暮らしを再開したいと思っている。新生活シーズンが過ぎたからか物件数はあまり多くない気がしなくもない。大学生時代から色んな部屋に住んできたせいで理想がどんどん高くなっていて、なかなか気に入る物件に出会えていない。おまけに地方住み人間になったため車も必要になりそう。ないと困るほどではないが、あるのとないのとでは大違い。車の有無は部屋探しの条件にも大いに関わってくる。毎日物件情報サイトを覗いたり、車のカタログを見たり、最初はわくわくして楽しかったけど今は少し疲れを感じるようになった。早く決めて楽になりたい気持ちが強い。でも就活と同じでここで折れてはいけない。根気強く、納得がいくまで探し続けるのだ…。