手術の記録

入院初日、朝から診察を受けてあっさりと病棟へ案内された。入院は小学生時代に食中毒になったとき以来。最近できたばかりの病棟なのでとても綺麗で、病室の名札みたいなところもタッチパネルになっていたりした。コロナが5類に移行して面会が可能になったものの、1時間までというルールが設けられていたので、同行してくれた母も荷物を整理したらすぐに帰らなくてはならなかった。エレベーターの前までお見送りして、手を振りながら扉が閉まったとき、「これが最後になったらどうしよう」などと考えてしまった。よく考えたら一人で帰ったことなかったから寂しいわ、と母からのメッセージが届いていた。

わりと上層階の病室だったので景色がとても良かった。テレビも何もつけず、静かな部屋の窓際のソファに座り、大きなマンションにある灯りひとつひとつに世帯があるんだなあ、とかぼんやり考えながらずっと外を眺めていることが多かった。普段の生活で、そんな時間の過ごし方をすることなんてなかなかない。

その翌日手術だった。お昼からだったのでそれまでHuluで好きな作品を観るも、なかなか集中できなかった。怖かった。人工呼吸って、1回死ぬってこと?呼吸が戻らなかったらどうしよう?手術中に大地震が来たらどうしよう?良い歳して情けないのだけど初めてのことなのでとにかく怖かった。しかもこのとき実際に地震があちこちで多発していたので、単なる考えすぎとかではなく本当に怖かったのだ。

手術着に着替えるように言われ、看護師さんと一緒に手術室まで歩いた。とてもチャーミングな看護師さんで、歩いている最中に「ここなんか怖くない?壁も床も全部真っ白でいかにも病院って感じでさあ〜」とか言いながら笑かしてくるので気が紛れた。手術室に着くと笑われた。わたしが手術着を表裏逆に着ていたからだ。あとから来る人もみんなわたしを見て笑うので、わたしもなんだか可笑しくなってきて笑いながら横になっていたら「薬入りますからね〜」と言われたと同時に視界がぼやけてそこから記憶がない。体感だと眠るまで5秒くらい。恐ろしい。

気がついたら病室にいて、体のあちこちに管がついていたり、酸素マスクをしていたりした。両親がベッドの脇にいてわたしに話しかけるので、頑張って返事をしようと思うのだけど、「うん」と言うのが精一杯だった。意識ははっきりとあるのに目や口をうまく動かすことができなくて苦しかった。手術中に行うリンパ節生検の結果が気になっていても聞くことができなかったのだけど、母が転移はなかったよと言ってくれたのははっきりと聞き取れた。それが不安で仕方がなかったので、心がすっと軽くなった気がした。麻酔のせいなのか何なのか涙が出続けていたらしくずっと拭ってもらっていた。

胸の大きさは8割くらいになった。抗がん剤のおかげか、意外と遠くから見たら分からないかも?といった感じ。遠くから胸を見るシチュエーションなんてあるのか。リンパ節生検のせいで脇から腕にかけてが痛むので、前開きの下着にかなり助けられている。乳がんで手術を受けた人に向けて作られた下着もあることを教えてもらった。需要のあるところに商売が生まれるのは当たり前のことなんだけど、病気になってから、人々の苦痛を軽減すべく色々と考えられて開発されている商品をたくさん目にして、本当にありがたい気持ちになる。

18時に夕食、21時に消灯なので自然と22時頃には眠くなってくる。これを機に生活リズムもちゃんと整えよう…。観たかった作品リストも消化できたし、何より窓から見える景色にひたすら癒やされた入院生活でした。当たり前のことかもしれないけど看護師さんも皆優しくて、病気のことについても色々と親身になってくれてありがたかった。居心地はよかった。

退院もかなりあっさりとしていた。久しぶりに外の空気を吸って気持ちが良かったのを覚えている。治療が始まってからずっと生ものを我慢していたので、退院してまずお寿司を食べた。とびきり美味しかった!退院祝いにお花をもらった、うれしい。

丸くなった頭も左右非対称の胸も、今となっては愛おしく感じていて、ある意味わたしのチャームポイントみたいなものなのかもしれないと思えてきた。(髪は伸びるけど)この歳で、とくに女性の場合なんかは、自分のスキンヘッド姿を見るなんてなかなかない経験だと思う。学生時代よく髪が痛みすぎて「あ〜毛根リセットできたらいいのに」と呟いたりしてたけど、リセットできた。冬頃にはだいぶ伸びてるといいな。