15年越しに話せた本音

病院の待ち時間が一時間やそれ以上になることは珍しくない。長くなるのが予め分かっているときは、母と院内の喫茶店で食事やお茶をする。

珈琲を飲みながら話していると、「○○(私)は頭がいいからね〜」と言われた。母に限らず親戚などからも私はそういう印象を持たれているらしく、よくそういった言葉をかけられる。おそらく私が過去に県内で有名な進学校に合格したからだと思う。

ただ実際のところ、頭は良くない。それはこのブログの文章からも十分伝わるであろう。

志望校に合格できたのも、単純にその当時必死に勉強していたからだ。さすがに学年1位は無理だったけれど、一桁になるくらいには頑張った。

当時は放課後19時まで部活、そのあと塾に通う日々を送っていた。塾は遅いと終わるのが22時過ぎになることもあったので、下手すると社会人より過酷かもしれない。今の私にあの生活をやってみろと言われても絶対に無理だ。でも当時は疲れよりも充実の方が勝っていたと思う。若いって素晴らしい。

頑張りすぎてしまったのか、受験に合格した途端に燃え尽き症候群のような状態になった。いざ高校に入学すると、色んな中学校の成績トップ組が集まっており、頑張って勉強したことで成績が伸びていただけの私はいっきに“勉強ができない子”になった。

同時にクラスでいじめに近いものがあった。標的は私が特に仲良くしていた子だったけれど、本人は見てみぬふりをしていて、いつも明るかった。今思うととても強い子だった。私は弱かったのでその空気に耐えられず、注意する勇気もなく、成績も落ちる一方で、次第に学校に行けなくなってしまった。

勉強も一度は頑張ろうと決めて、友達に教えてもらったり、先生に質問したり、また塾に行ってみたりもしたけど、学校を休みがちになってから授業にもついて行けなくなり、ついには学年最下位になった。

朝何事もなく家を出るものの途中で引き返し、道端でぼーっとしてから家に帰ることが何度か続いた。しばらくすると親にそれがバレてしまいかなり怒られた。せっかく合格できたのに、何をしているんだと。学校に行けと。父に頭を叩かれたことも鮮明に覚えている。

なぜ学校に行きたくないのか、答えるまで問い詰められた。だけど私は何も言えなかった。当時は自分でもよく分かっていなかったからだ。感情をうまく言語化できなかった。いじめがあると言ったところで状況が良くなるという期待もなかったし、余計なお世話かもしれない、今度は自分が標的になるかも、といった怖さもあった。両親や先生からすれば、突然不登校になった挙句理由も教えてくれないし、心当たりもないしで本当に何がなんだか分からなかったと思う。

プライドもズタボロになったところで完全に不登校になった。他のクラスには一人もいなかったのに、私がいたクラスだけ不登校の生徒が4人もいた。良いクラスに恵まれなかったのかな〜なんてことも、どうしても考えてしまう。

それから私は引きこもり生活ののちに、なんだかんだ働きながら通信制高校を卒業して大学にまで進むことができたのだけど、修学旅行とか体育祭などといった、よくある高校の思い出的なものが何もない。友達もいない。なのでそういう話題になると未だに黙り込むか嘘をついて誤魔化してしまう。他人に対する恐怖心もずっとある。


こういった話も、過去の自分を客観視できるようになった今だからできるのかもしれない。

話を最初に戻して、母に頭がいいとか、あの高校に合格できただけでもすごい、などと言われたとき、気が付いたら今ここに書いてきたことをぽろりと話している自分がいたのだ。あの時いくら問い詰められても何も答えられなかったのに、すらすらと芋づる式に本音がこぼれた。

母もそんなことがあったのかと少し驚いた表情をしていた。あのときちゃんと伝えられていれば私の人生なにか変わっていただろうか。なんだかんだ今の人生も良かったと思えるので私はいいのだけど、両親を苦しめてしまったというか、せっかく塾に通ったりしていたのも無駄にしてしまったし、自慢の娘的な道から外れてしまった罪悪感のようなものは正直ある。

過去には言えなかった本音を、15年の時を経て自然と話すことができた。これが大人になったということなのか。心のつっかえが取れたような気がした。

傍から見たらただ喫茶店で楽しくお話している親子に見えていただろうけど、実際はものすごいことが起きていたのだ。

約1か月の間、書いては辞めを繰り返したこの記事を投稿できた頃にはきっとすっきりしているだろうなと思う。