30歳を迎えたと同時に乳がんが見つかった話

30歳を迎えたと同時に乳がんが見つかってしまった話を聞いてほしい。

聞いてほしい、と言っても読んでいる人がいるかどうかも分からないここに書くだけなんだけど、誰かに聞いてもらった気分になれたらそれでいい。気持ちの整理がある程度ついたのと、体調が落ち着いてきたので書いてみることにした。

今わたしは治療を受けている途中だけれど、やっぱり同じ病気を経験しながらも今元気に暮らしている人の存在が一番力になると実感したので、自分も誰かにとってのそんな存在に少しでもなれたらいいなという思いもある。


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9月中旬:異変(胸の痛み)に気付く

仕事中、胸のあたりがやけに痛むことに気付く。最初は心臓あたりが痛いのかなと思い込み、何科に行けばいいのか調べたりしながら、ふと胸に手を当てた時にしこりに触れた。これはまずいと思い、翌日近所の婦人科に行ってみると、良性か悪性かの判断がつかないので大きい病院で検査をした方が良いと言われ、紹介状を書いてもらった。

9月下旬:恋人と別れる

ずっとぼんやりと「この人とこの先一緒にいても、きっと自分は幸せじゃないだろうな」と思っていた。付き合っていて楽しいと思うことはあったけれど、幸せと感じることがあまりなかった。私に対する執着心は感じ取れるものの、愛情は感じられなかったからだと思う。彼が人を傷付ける冗談を度々口にするところが苦手で、もうすぐ私の誕生日だという話になった時に、「もうおばさんやん、捨てよかな」と笑いながら言われたのが過去最高に不快で、その時は冗談だと割り切って流したけれど、冗談でもそんな言葉を掛けてくる人と関わりたくなくなってしまい、数日後に「もうおばさんだし捨ててくれ」とLINEを送るとブロックされた。あっけない終わり方だけど、肩の荷が下りたような気持ちだった。

10月上旬:30歳になる

なんとなく不安な気持ちを抱きつつも、30歳という一つの区切りとなる誕生日は少し特別な日にしたいと前々から考えていたので、一人で夜景の見えるホテルに泊まった。好きなお店のご飯やケーキを部屋に持ち帰り、綺麗な夜景を眺めながら食べた。Netflixが観れる部屋だったので、ゆったりと映画を観たりしながら過ごせて幸せだった。

10月中旬:大きい病院での再検査

大きい病院に最初に行った時、「次回しこりの組織をとって調べる針生検をして、そこで良性悪性の判断がつきます。もし悪性だった場合はさらに詳しく調べて、その結果が出るのに1週間かかるけど、その時に親御さんも一緒に来てもらうことは可能ですか?」と言われた。親とは離れて暮らしていたので、相談してみます…と空返事をしながら、なんだか話がとても大きくなっていて急に怖くなった。
針生検は麻酔をして胸にわりと太い針を3回ほど刺した気がする。しばらく血が止まらなくて怖かったのと、麻酔が抜けてくる頃がちょっと痛かった。マンモグラフィーを初めてしたのだけど、胸を挟む工程があまりにも痛くて途中で貧血を起こしてしまい、ベッドで休憩する羽目になって恥ずかしかった。検査をして帰った日、乳がんだったらどうしよう?と考えると怖くてたまらなくなり、食べ物が喉を通らず、ずっと泣いて過ごした。

10月下旬:乳がんと診断される

針生検の結果、正式に乳がんとの診断を受けた。父と母が同席してくれて、私と母は泣いてしまった。その当日、PET-CTの検査も受けていたのだけど、転移はなかったという結果を聞いて、また違う種類の涙が溢れた。
一番つらかったのは、手術で胸がなくなってしまうことと、抗がん剤によって生理が止まってしまう可能性がある(妊娠できなくなる)ことだった。子供が欲しいなんて今まで全然思っていなかったのに、いきなり「あなたは子供が産めない体になるかもしれません」と言われるととても辛くて声をあげて泣いてしまった。
そのとき救いだったのは、先生が明るくてフランクな人柄だったこと。「治るんだから!なに泣いてんの、泣いてる場合じゃないよ!」と終始関西弁で前向きになれるように励ましてくれた。厳しくも優しくて、これくらいバシッと言ってくれる方がありがたかった。過去の手術例の写真も紹介してくれて、左右のどっちが手術したのかも分からないくらい綺麗に再建できている人もいた。帰ろうとしていたときに病院内で偶然先生とすれ違ったときも、「治ったら報告してね」と言ってくれて、そこでまた涙ぐんでしまい、励ましてもらった。
乳がんの治療が完全に終わるまで10年かかるのと、一度治療を始めると転院が難しいということで、実家に帰って地元の病院で治療を受ける決断をした。フルリモートで仕事していたからこそできた決断なので、この働き方に関しては改めて有難みを感じた。仕事も当面休むことにした。

11月:卵子凍結

抗がん剤によって生理が終わってしまう可能性があることと、治療後に生理が戻ってきたとしても、抗がん剤で卵巣がダメージを受けてしまうので、治療を始める前に今の卵子を凍結して保存しておくかどうかの決断を迫られた。
最近は保険適用も徐々にされてきているみたいだけど、私の場合は自費で30万ほどかかるとのことだった。今の自分にとって、どうしても子供が欲しいというほどの願望は正直ないけれど、後になってやっておけばよかったと思ってもどうにもできないし、自治体から助成金が出るということを知ったので、念のため凍結保存することになった。
1週間ほど毎日お腹に自分で注射をするのが辛かった。それでお腹がぱんぱんに張ったり、生理痛とか体の火照りが続くのもしんどかった。不妊治療って今まで聞いたことはあっても具体的にどんなことをするのか知らなかったけれど、傍から見たら全く分からないのに、みんなこんなに辛い治療をしているんだと知って、待合室にいる人みんなを抱きしめたい気持ちになった。

12月上旬:抗がん剤治療開始

診断を受けてから、結果が出るまで3週間かかる検査もあったりして、なんだかんだで治療を始めたのが12月に入ってからだった。今は抗がん剤の治療を受けていて、しこりを小さくしてから手術で摘出することになった。だいぶ抑えられているとはいえ、数日は吐き気があってつらい。まだ1週間なので髪の毛は普通にあるけど、おそらくクリスマス頃にはなくなっている想定。かわいいウィッグや帽子を用意して、敢えて普段できないスタイルを楽しもうと思っている。

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と、そんな感じでここ数か月の間に色んな事があった。

地元の病院に移ってから担当の看護師さんと話したときに言ってくれた言葉が一番心に残っていて、「病気が見つかったとき、自分の人生が終わったように感じたかもしれない。でも全然そんな風に引け目を感じる必要はないし、恋愛だって結婚だって自由にしていい。仕事も出産も諦めなくていい。自分の人生を病気に振り回されるのだけは絶対にいかんよ。今は辛いかもしれないけど、ちゃんと治療して10年後にあ~よかったって言おう。」と涙ぐみながら私に話してくれた。定期的にこの言葉を思い出して頑張れている気がする。

これまでの人生で、死にたいと思うことが何度かあった。冗談ではなく、本当にそう思ったことがあった。ただ今後はどんなに辛くてもそう思うことはないと言い切れる。先生や看護師さんに病気についてネットでは調べないように(怖いことや嘘の情報も沢山あって不安になるだけだから)と言われているけど、最初少し調べてしまったことがあって、「乳がん」と検索すると「生存率」というワードが出てきて、”生存”率ってことは生存する確率の方が低いってこと…?と案の定怖くなってしまったりして、人生で一番はっきりと「自分の死」を意識する機会となった。親より先に死ぬのだけは嫌だという気持ちがあるし、今回自分が病気を患ったことを知って泣いてくれた人の存在を目の当たりにして、自分は死んではいけないと強く思えた。荒れていた食生活を見直すきっかけにもなったし、病気が色んなことを見つめ直すきっかけをくれた。そういった面ではプラスに働いたこともある。

子供は分からないけれどパートナーは欲しい気持ちが逆に芽生えてきて、だけど、これから出会った人にこの状況をどう説明するか、どのタイミングで言うか、そしてそれを受け入れてもらえるのかが悩ましい。例えばマッチングアプリとかだと、子供が欲しいかどうかの項目なんかがあったりして、「欲しい」を選択している人を私は避けるべきなんだろうなとか考えてしまったりする。乳がん治療中の人なんてめんどくさく思われるだろうなとか、やっぱりどうしても引け目を感じてしまう所はある。

あとはニュース番組や医療系のドラマ、人が亡くなる等の話題を避けるようになった。悲しい要素は極力取り込みたくなくて、朝もラヴィットしか観なくなった。その代わりワールドカップはちゃんと観ました、沢山応援できて楽しかった。ありがたい。

とりあえず今は治療を最優先に考えて日々を暮らしています。ポケモンが癒しです。元気です。