am 4:00

どうしようもなく、淋しい夜だった。
孤独から来るそれとは少しちがって、人のぬくもりや愛を感じてはいるものの、自分と誰かのあいだに分厚い膜のようなものが張っている感覚があった。
どんなに好きな人でも、親しい人でも、すべてが自分とぴったり合う人などいない。わたしのことを、まるっきり理解できるひとなどいない。逆もまた然り、わたしは誰かのことや、大好きな彼のことさえも、すべてを完璧に理解することは不可能なのだ。
自分以外の人間は、どう足掻いても自分以外の人間でしかない、というちょっとした絶望に近い気持ちになった。

ないものねだり

今日はいつもより多めに残業をしてただでさえ帰るのが遅かったのに、電車で居眠りをして乗り換えの駅を通り過ぎてしまい、そこから最寄りに行ける電車もあったので乗ったところ、それは最寄りの手前で止まる電車だったと気付いたときにはもう逆方向に動き始めてからだいぶ経っており、さらに遅延していたので、なんだかんだで家に帰ったのは予定より1時間も過ぎた時間だった。さらに最寄りに着いたら結構な雨が降っていて、傘もなかった私はびしょ濡れで帰宅。ポストがなぜか開かない。バタバタしてたら携帯落とすし、もう気分が沈みすぎて泣きそうでした。なんて日だ!今なら本家より全力で言える。

3月になった。今月いっぱいで仕事を辞める。そのあとは実家にでも帰って少しの間ゆっくりしようかな、なんて考えていた。

今日こんな気分で帰ってきて、やっとゆっくりできると思いながらご飯を食べていたら親から「いつ帰るのか」と催促の電話。そのあと彼からは「今日は電話できるかな」というような連絡が来ていた。人から必要とされているのはありがたいと分かっていながら、お願いだからそっとしてくれ!もう好きにさせてくれー!と思ってしまった。そんな自分が嫌だし、本当に人間としてダメだなと思う。誰からも連絡がなかったら寂しいくせに、こうやって色々言われるとほっといてくれなんて、ないものねだりだ。

丁寧に生きたい

毎日目覚ましが鳴ると同時にハッ!となり起床。顔を洗ってコーヒーをいれてメイクをして髪をセットして着替えたらいつの間にか家を出る時間。駅のホームに着いたらすぐやって来る満員電車に乗り、うとうとしつつも職場の最寄りで降りる。仕事はそれなりにちゃんとやっているけれど、いつの間にか終わる。朝と反対側のホームからまた電車に乗り、気が付いたら家にいる。ぼーっと携帯やパソコンを見ているといつの間にか寝る時間。慌ててお風呂に入って彼と電話をしながら寝る。

わたしの一日の流れは、“いつの間にか”や“気が付いたら”が多い。自分の意志ではなく、そういうものだからそう動いている。趣味や好きなことを勉強する時間をとりたいし、仕事終わりにその時間をとることは物理的に無理な話ではない。ただ、精神的に余裕がない。家に帰ると色んなスイッチがOFFになり、しょうもないスマホのゲームをしたりYouTubeを観たりと、とにかくなるべく頭を使わないことしかしたくなくなる。時間の流れにただ従う今の生活は好きではないし、もっと丁寧に生きたい。

何もかもが、あれをしなきゃこれをしなきゃといったような意識から動いていく日々は、本当は今すぐやめたい。じゃあどんな生活がしたいのかを考えてみた。

朝はほどよい時間(9時ぐらい)に起きる。ワイドニュースを観ながらゆっくり朝食をとる。洗濯を急がずにきっちりする。窓を開けて、気になるところの掃除をする。軽めの昼食をとる。散歩がてら買い物に行く。コーヒーを飲みながら好きな映画を観る。MacProでちょこっとクリエイティブな仕事をする。好きな音楽を聴きながら夕食を作って食べる。読みたい本を読む。寝る。

ほぼ夢物語だ。

(ちょこっとクリエイティブな仕事が自分でも何を言っているのかちょっとよく分からない)