闇金ウシジマくん

ずっと取り組んでいた作業が一段落ついたので、今日は本当に何もしないぞ!というお休みの日をつくった。わたしは学生のときから休むことが下手くそで、特に受験生のときと卒論を書いていたときは、どんなに休むと決めていても常に頭の中はやらなきゃいけないことで埋め尽くされていたし、休むことへの罪悪感で逆にストレスが溜まり、最終的には限界がきて爆発してしまうという結果を招いた。かといって全く休まないのも辛くて、結局一日中だらだら作業をし続けるやり方に落ち着いてしまった。もちろんそれは一番効率が悪いので、思うように進まない。やっぱり切り替えというのは大事だ。やるときはやる。休むときは休む。優れた人はみんなこれが出来ている人だとわたしは勝手に思っている。

それで、完全にオフ!と決めた日に何をしようかかなり迷った。あまり考えごとはしたくなかったし、映画が好きなのでなんか適当に観てみることにした。作品を漁っていたときに、以前途中まで観てそのまま放置してたドラマを思い出したので、そっちを観ることにした。それが『闇金ウシジマくん』だった。正直、ゆっくり休息をとりたいときに観るような内容ではない。

と思っていたのだけど、いざ観てみるとどんどん惹き込まれてSeason3までいっきに観てしまった...。いっきに観すぎた感はあるけど、一話が30分というのもあって、あまり長い時間には感じられなかった。

Season3まであるのに、丑島さん(山田孝之)の表情はほぼ一種類しかなかった。ずっと同じ顔だった。しかしその迫力たるや、もうこっちまでゾクゾクしてしまう程だった。山田孝之さんは“一見ふつうに見えるけど、実はいつ何を仕出かすか分からないマジでやべえ奴”みたいな人間を演じるのが本当に上手い。めちゃくちゃに怖い。新宿スワンのときもかなり怖かった。顔の表情だけでこんなに迫力を出せる人はなかなかいないと思う。

悪い人なのかいい人なのか、いまいち掴めない丑島さんを、本当はいい人なんだと信じたい気持ちで観ていると裏切られる。だけど、お肉ばっかりじゃなくてちゃんと野菜も食べてくださいと言われたことをしっかり守って、机の上のカイワレもちゃんと育ててるところがちょっと微笑ましかったりもして、最後まで丑島さんに振り回された。

原作は少しだけ読んだことがあるけど、ドラマもみんなそれぞれキャラがしっかりあって良かった。洗脳くん篇はとにかく怖いし、胸糞が悪すぎた。占い師と組んで運命の人を演じ、相手からその家族までをも洗脳して、一家を崩壊させる。でもこんな話もこの国のどこかでは起こっているんだろうなと思うとぞっとした。いつかのドッキリ番組か何かで、占いで〇〇を身に付けている人が運命の人だと言われた直後に、その通りの格好の人に声をかけられて連絡先を聞かれたら教えるか?みたいな企画を観たのを思い出した。なかには教えている人もいて、ヤラセであることを願った。

闇金ウシジマくん、ただのちょっと怖い人たちの話かと単純に捉えていたけれど、人間の醜い部分が描かれていて、色々と考えさせられる話だった。映画の方も今度観てみようと思う。

二人がここで駄菓子を食べるシーンが何気に一番好きだった。

前を向く

 Apple Musicに登録したらポジティブになった、というはなし。
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 なんの突拍子もなく、ふとApple Musicの存在を思い出して、3か月無料でお試しできるみたいなので登録した。わたしの好みに合いそうな音楽を教えてくれたりするらしい。作業をしながらなんとなく今の流行りの曲とか、90年代のヒット曲とかを適当に流していたら、とある曲が流れてきた瞬間、イントロからすでにかっこよくて手が完全に止まってしまった。気になって他の曲も聴いてみたりして、完全にわたしの好みであって、おまけに近々ライブをする情報を目にしたのでチケットを買いました。このトントン拍子。


PAELLAS "Shooting Star" (Official Music Video)

 こんなに何かに引き寄せられるような気持ちになったのは本当に久しぶりで、ライブのチケットを買ったのも久しぶりで、もううきうきわくわくときめいている。このサウンドが心地よくてずっと聴いている。ボーカルが音に馴染んでいるのがいい。

 ちょうど作っていた作品と資料も完成して、ひと段落ついた。ここ最近ずっと気分が優れなくて、夜な夜な自分の存在意義とか難しいことばかり考えたりしていたけれど、とりあえず精神面は少しずつ良い方へと向かっているような気がする。たまには遠出もしないと。

 次の面接も決まったし、がんばっていこう。だめならだめでまた考え直せばいいくらいの気持ちでいきましょう。サッカーはワールドカップ出場が決定したし、お父さん誕生日のプレゼントすごく喜んでくれたし、みんなが素敵な日を過ごせたらわたしも嬉しい。

 凛として時雨の新譜『DIE meets HARD』を買った。時雨だけはちゃんとCDを買うという謎のルールがある。このルールは他にもあって、発売日より前にまずYouTubeにMVがアップされるけれど、CDの音源を聴くまでは絶対にこれを観ない。CDが手元に来たら、はじめに目を閉じて音楽だけに集中して聴く。その次に歌詞を読みながら聴く。最後にMVを観る。まずは音があって、その上に歌詞、歌声、映像が重なってひとつの音楽ができあがっているので、その順で聴くことにしている。めんどくせ!と思われるかもしれないけれど、なぜかこの聴き方は小学生くらいの頃からやっている。(特別に好きなアーティストだけ)

 時雨の新曲を初めて聴くときは、異常な緊張感に包まれる。それは、音楽性が変わっているかどうか、という緊張感。もうどきどきなのだ。これまで生きてきて、好きなアーティストが突然路線を変えてしまったという事件は割とよく起きた。それが良い方向に働けばいいのだけど、そういうときは決まって「前の方がよかった」と思ってしまうのだった。でもアーティストの方向性はファンではなくアーティスト自身が決めるもの。わたしたちにはどうにもできない。わたしは時雨のずっと変わらない音楽性がとても好きだ。新しくなっても、変化はあっても、軸はブレていない(とわたしは思っている)。だからこそ、いつかがらりと変わってしまったらどうしようと、新曲が出るたびにどきどきする。まあ、変わったとしてもおそらくわたしが好きな音楽なんだろうなとは思う。

 今回は特別どきどきした。なぜかというと、MVの予告がもう明らかに今までと全く違うテイストだったから。時雨のMVといえばメンバーの演奏するシーンがひたすらに続く印象が強くて、メンバー以外の人物が登場するなんてことはこれまでなかった(はず)ので、かなりびっくりした。

 そしてついに『DIE meets HARD』を聴いた。やっぱり、凛として時雨だった。めちゃくちゃ凛として時雨だった。今日も時雨をありがとう、と思った。とか言って、TKさんからしたら「いやかなり違うことやってるんですけれども」みたいなことだったら本当にごめんなさい。この世にはたくさんのアーティストがいるのだから、ひとつのアーティストが無理して色んな方向に行く必要なんてないのに。需要と供給が邪魔をしている。と思ったり思わなかったり。

 この曲は下北沢ダイハードというドラマのOPになっているらしく、結構それに関連しているっぽいのに、肝心のドラマを観ていないので理解できていないところがきっとあると思う。キャストが結構豪華だったので今度観よう...。MV、なかなか難しかった。でもクスッと笑ったりして面白かった。まさか時雨のMVで笑うなんて。一体どんな意味が込められているのだろう。ちょっとずつでも紐解いていきたい。

 “SEE MORE GUITARS THE WORLD”(下北沢)とか、“the war / the world”(ざわざわ)とか、ことばで上手く遊んでいておもしろい。というかこの曲のイントロ、『Telecastic fake show』と同じ...?なんか色んなカラクリが仕組まれていそうな気がする。カップリング曲もかっこよかった。早くライブで聴きたいです。

 “凛として時雨”の曲なのにCDをPCに取り込むと“TK from 凛として時雨”として認識されるというFantastic Magic.........


凛として時雨 『DIE meets HARD』