モチベーションがない

この前の頭痛はなんだかよく分からなくてとりあえず心療内科に行くと“抑うつ”と言われた。でも自分ではそんな状態だなんて思ってもないし、なんとなく憂鬱だなあと思うことなんてしょっちゅう(というかほぼ毎日)だからピンと来なかったし、嘘だとか大袈裟だとか、そんな風に思ってあまり信じなかった。

そして2日連続で会社を休んでしまって、もう仕事に行きたい気持ちがほぼゼロに近くなってしまった。また満員電車に乗って、あの場所に行って、あの人たちに会って...ということを想像しただけで吐きそうになって、夜には涙が出た。特別好きな仕事でも向いているわけでもないし、何ならもう辞めてしまいたかった。でも辞めてしまえば収入がなくなって家賃が払えなくなって東京に住んでいられなくなって彼氏とも遠距離になって...と、そんなところまで想像してやっぱり仕事に行かなきゃという気持ちになった。前夜はほとんど寝れなくて、当日はどんな顔をして出勤すればいいのか、2日連続も休んで怒られるんじゃないか、とか考えてたらどんどん頭が痛くなってきて吐きそうだった。でもその日を境に、私が仕事で不満に思っていたことが次々に解決されて、不思議なくらい私の思い通りのような環境になったのです。そうすると、私の頭痛がちょっと和らいだ。とりあえず薬を飲んだら頭痛はマシになったけど、その代わりとてつもない眠気が襲ってきて仕事にならないほどだった。

今はもう薬も飲んでないし病院にも行ってないけど、なんとかやっていけてる。でもやっぱり仕事に対するモチベーションは全然上がらなくて、何の為に私は毎日こんなことをしているんだろう…と思いながら、体力と時間だけを消耗して働いている。仕事ってそんなもんなんだろうか。

敵視する

上京してきて、「こっちに全然友達いなくて〜」とあたかも友達たくさんいるけどたまたまこっちにいないだけの感じを装っていますが、本当は地元に帰ってもいません。ただ小さい頃から過ごしてきた土地なだけに中途半端な顔見知りはたくさんいて、出掛けた先でばったり会ったりするのが気まずい&窮屈だと感じたのでトーキョーにやって参りました。彼氏さんとは順調でございます。そんな話はさておき、先日この映画を観てきました。

原作全く知らないし、ただ誘われたから行っただけという感じだったけど、この男の子が心を閉ざして人と関わろうとしないところがつい自分と重なってしまった。私も人と目を合わせるのが怖くて、大学生のときもキャンパス内を歩くときはいつも下を向いていた。未だに道を歩いていて前から人が来ているときや電車で座っているとき、視点のやり場に困る。携帯なんて見ても別に何もないのにずっと携帯を見てる。でも周りを見渡せばみんな携帯とにらめっこしていて、本当はみんな私と同じような状況なんじゃないかとか考えたらちょっぴり面白くなったりもする。

社会人になって初めて仕事を休んだ。毎日仕事に行くのが憂鬱で、吐きそうになることだってあったけれどそれでも遅刻もせず出勤していた。なのにその日は風邪気味だったのもあるけど、「今日は休もうよ」と私が私に語りかけた。それはズルとか怠けとかそういった類の感情ではなくて、なんだろう、例えるならば警告のようなものに感じたのです。危険信号を発しているのだと思ったし、すぐに休みの連絡を入れました。その日はびっくりするくらい寝たけれど、風邪がよくなることはなかった...

そして今日、休み明け。みんな私が休んだことを悪く思っているに違いない。あいつだけ楽しやがって。そんな風に思われているはずだ。なんて考えながら小さくなって会社に向かった。とは言え私が休んでも埋め合わせはいくらでもできるし、困ることなんて何もないので出勤しても特に何かを言われることはなかったけれど。本当に何も言われなかった。挨拶すらなかった。(それはいつものことで、誰かが挨拶をしても一人も返さないのでずっと不思議でしょうがない)ただ二人だけ「体調大丈夫ですか?」と声をかけてくださった人がいて、その二人だけは味方で、あとは全員敵のように私の目にはうつってしまった。そうやって何かの基準で私はいつも全ての人に対して敵か味方かを無意識に判断していると思う。デフォルトは全員敵で、自分に良くしてくれたり、話しかけてくれたり、人間性に魅力を感じたり、そういう私の心を動かす何かがあれば味方になる。でも、一度味方になっても「この人そういうことするんだ...」みたいなことがあればすぐ敵に戻る。誠に自分勝手な奴である。

そんな私の性格が、『聲の形』の男の子(名前がどうしても思い出せない)の状況とすごくすごく似ていた。常に私の周りは敵かごく僅かの味方で成り立っている。みんなが味方だと思うことができればもっと楽に生きられるはずだということはわかっているけれど、なかなか難しい。

全然話は変わって、このブログの記事に書いてあることが本当にすべてその通りすぎて私は首がもげるほど頷きました。
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私はいまこのような仕事をしているけれど、ずっとこの仕事をしていきたいとは思っていない。私が今住んでいるところは自由に生きている雰囲気を放っている人がとても多くて(実際にそうとは限らないけれど)色んな生き方があるはずなのに、どうして私はこんな普通のつまらない会社員なんかをやっているんだろうとか訳のわからないことを考えてしまったりしている。お給料をもらっても、自分で稼いだお金だという実感が正直全くもってない。そんなもんなんだろうか。こんなことで悩むのは贅沢なんだろうか。とにかく今の仕事が自分にとってあまり良くないということはわかる。

自分にしかできないことを探そうと思ったけど、こんなにたくさんの人間がいるこの世界でそんなことは到底難しいので、自分でもできること、したいと思えることを探すことにした。そしていくつか見つけることはできた。まだまだ勉強不足だけれど、それがいつか仕事として繋がっていければいいなと思う。

どうでもいいけど同期の子が目上の人に使う「~しちゃっていいですか?」という敬語がすごく気になる。敬語なのかもよく分からないけど。なんだか気持ちが悪いなと思ってしまう。

とか言ったけど

やっぱり人見知りなのかもしれない。

初対面の人から「人見知りするでしょう?」と言われることがすごく多い。何をもってそう思われるのかよく分からなかったけど、最近“人の目をちゃんと見て話せないから”かなあと思うようになった。人見知りするでしょという言葉は、どう捉えたらいいんだろう。褒め言葉ではないし、悪口でもないし、嬉しくもなんともなくて「意外とそうでもないですよ!」くらいのことしか言えない。でもやっぱり決して良いことではないから、実はちょっぴり傷ついてたりする。どういう気持ちで相手はこの言葉を私に掛けてくるのだろう。

会社で上司の人に元気がない、おとなしすぎると言われた。でも私自身は元気にしているつもりだった。というか元気だ。おとなしいと言われるのはもう小さい頃からずっと。小学生のとき、毎朝学校に行くと正門のところに校長先生が立っていてみんなに挨拶をしていた。校長先生はみんなには普通に挨拶するのに、私には「しんどいの?大丈夫?」とか「もっと元気だして!」と声をかけた。もちろん私は元気。小さい頃から変わらないのです。今更明るい人になれと言われたって、無理だと思う。自分を取り繕うことに疲れて逆に病んでしまいそうだ。おとなしいと言われることが嫌だ。私は普通にしているのにおとなしいと言われると、自分を否定されたような気持ちになる。自分ではおとなしいと思ってないのに、そう言われると、自分でも私はおとなしい人なんだと思い始めて本当におとなしい人になってしまう。なんで“明るい人”に私はなれなかったんだろう。母に、幼稚園のときから周りを「子供っぽい」と思ってる感じが出てたと言われたから、もう本当にそれくらいの年齢ですでに明るい人ではなかったんだと思う。人生をやり直せるのなら私は明るい人になりたい。“おとなしい”で得をすることなんてない。

すごく好きな占い師さんがいて、私の星座の今日のひとことが「十人十色」だった。今まで何度も聞いてきた言葉なのに、はじめて心が救われるような気持ちになった。