純粋無垢とはこのことだ、という思い出がある。わたしがまだ小学生だった頃のある日、友達の友達であるSちゃんが“昨日の放課後に異世界へ行って甘い蜜をなめた。おいしかった。”と言いだした。わたしは興味津々で、異世界にはどうやって行ったのかを問いただしたところ、帰り道の途中にある草むらの中に小さな入口があるとのことだった。その子とは帰る方向が同じだったので、場所はすぐに分かった。さっそくその日の放課後にそこへ行ってみると、どう見たって何の変哲もないただの草むらだった。それをSちゃんに伝えると、入口は時間帯や日によってあったりなかったりすることが分かった。それからわたしは何度もそこへ足を運んだ。なにもない。いつもどこにもなにもない。わたしも甘い蜜をなめてみたい、その一心で草むらの中を探した。結局いつまで経っても見つからず、Sちゃんからは曖昧な情報しか得られず。そこでようやく、あれは嘘だったのだ、と気付いた。一生懸命異世界への入口を探していた記憶がよみがえり、自分を恥じた。その記憶にはそっと蓋をした。異世界へ行くなんて、大人になったわたしが聞いたら笑っちゃう。あるいは、へえ〜すごいね~なんて言いながら適当に聞き流すようなことだ。だけど、わたしにはできなかっただけで、Sちゃんは本当に異世界へ行っていたかもしれない。そうやって考えてみるだけでも、なんかおもしろい。考えるだけなら誰にだってできる。歳をとるにつれて、ありえないだのそんなの無理に決まってるだのと言いながら笑って終わらせてしまうことが増えてしまっているように思う。もうすこし柔軟に、おもしろく、広く、思考を巡らせられるようになりたい。