卒業間近

最後の講義はあっけなく終わった。というか、講義が終わって少し経ってから手帳を見て「あれ、こないだので最後だったんだ」と気付いたくらい。そんなもんでした。試験もあとは卒論関連のものが残っているだけで、あとは結果を待つのみ。四年間の大学生活がもうすぐ幕を閉じようとしているのかと思うと、感慨深いものがある。

高校に入ってすぐ登校拒否になり、通信制に通っていた。お金が勿体ないのと変なプライドがあり塾には通わず、バイトをしながら独学で受験勉強をしていた。でもやっぱり独学には無理があったのと、私の頭の悪さと、自分のレベルとは明らかに不釣り合いな大学を受けたことで受験にはことごとく落ちた。受験料は馬鹿にならない金額で、大学に落ちたことよりも受験料という名のお金を無駄にしてしまったことが申訳なくて悔しくて沢山泣いた。結局元々全く視野になかった大学に一般の後期でぎりぎり受かった。

規模が小さめの大学だったので、学科の人数は高校の一クラスとそんなに変わらないくらい。なので全員名前も顔も知っていて、誰かがいないと「あの子今日休みだ」と分かってしまうほど。女子特有のグループもあるし、毎日それぞれのグループで固まって席について、毎日同じ人たちとお昼ご飯を食べる。帰りも一緒。ずっと一緒。一番驚いたのは履修登録をする時、一人にならず必ず誰かと重なるように友達同士で相談していたこと。みんなが一人にはなるまいと互いに依存し合うような、そういうのが私は中学生の頃から苦手で苦痛だった。だから自由な大学という場所にずっと憧れていて、ようやく大学生になれたと思ったのに高校と何ら変わらない束縛された生活をまた送ることになってしまった私は頭を抱えた。一人でゆっくり講義を聞きたかった。それって大学生なら割と普通のことだと思うのだけど、私の大学では完全に「クラスでぼっちな人」状態になるし、生徒同士の親睦を深めるためにグループワークが多い学科だったから後々面倒なことになりそうだった。ある時なんとなく他の学科の講義をとってみたら、誰も知り合いがいないから一人でゆっくり受けられてすごく楽しかった。私の理想の形だと思った。と言っても必修はすべて自分の所属している学科なので結局苦悩は続いた。高校で散々迷惑をかけてしまったから大学を辞めるという選択肢はなかったし、勉強自体は大好きだったので頑張って卒業したかった。でもその時の私は登校拒否という同じ過ちを今にも繰り返してしまいそうな状態だったと思う。今の環境から逃れつつ、大学を卒業できる方法を考えて、他大学への編入を目指すという結論に至った。環境や人間関係の他にも色々とあったので、それも解決されると思った。そんなのただの逃げじゃないかと言われればそれまでだけれど、私にとっては希望の光のようなものに見えた。もし失敗したとしても、それはそれでちゃんと諦めがついて今の大学でも頑張っていけそうな気がした。それから別に必要でもない受験勉強にわざわざ再び取り掛かる生活が始まった。学科の友達には話さなかったし、受かる保証なんてどこにもないのに私は友達と距離を置くことができていた。それでもやっぱり人の目は気になるから苦痛なのは間違いなくて、だけどむしろその苦痛が勉強へのモチベーションに繋がっていたと思う。

なんだかんだで試験に受かり、ほんの一部の友人にだけそのことを告げて私は大学を去った。一緒にいたグループの中にひとりとても苦手な人がいて、人の噂話が多かったのできっと私のことも言われるだろうなと思っていたら案の定そうだった。私が過去にその人に話した、あまり誰にも知られたくないようなことを他人に話していたようで、縁が切れて正解だと思った。「ほんの一部の友人」ともその後だんだん疎遠になった。

編入してからは自分がまさに思い描いていたような大学生活を送れて、とても楽しかった。大学三年生にもなると人間関係はある程度出来上がっているから、編入生は自分から積極的に入っていかない限りほぼぼっち確定で、私にはとてもありがたい環境だったなと思う。友達を作ろうとはしなかった。同じ編入生の人とは少し仲良くなれたけれど。講義中に私語をする人もいないし、講義自体もかなり面白かった。高校と同じく途中で環境を変えて、両親にはまた迷惑を心配をかけてしまったけれど、編入してよかったと思った。友達はほぼいないから誰かと遊んだりどこかへ行ったりしたとか、他の学生みたいにそういう思い出はほとんどないけれど、自分に合った環境で自分の好きな勉強ができて尊敬できる先生にも恵まれて本当に有意義な時間を過ごせたなと思う。貴重な学生生活をちゃんと悔いなく過ごせた。大学で勉強ができるって本当にありがたくて贅沢なことだ。両親には感謝してもしきれません。これから就職して、本当に少しずつになるだろうけど恩返ししていきたいし、ちゃんと親孝行もしたい。