仕事を辞めてから

どこで転職するか(都心に残るか地元に帰るかで)ずっと悩んでいた。結果いま私は実家にいる。帰ってきた。

地元に帰るということは、つまり彼と遠距離になってしまうということで、この事については散々話し合った。それでも私は地元に帰ることを選択した。彼からすれば自分よりも地元を取られたわけで、選んだことには自信を持ってと言ってくれたものの、並々ならぬ罪悪感が私の中にはどうしてもある。引越しの前に彼と会った。表情がなかった。私がそうさせてしまったのだと、どうしてここまでして、遠距離になってまでも地元に帰ることを選んだのだろうと、申し訳なさや後悔の気持ちが胸に込み上げてきた。自分で選んだことなのに、寂しかった。そして何より、なぜ私がこの選択をしたのか、明確な理由が自分でも分からなかった。それは彼にもなんとなく伝わっていたようで、そんな風じゃ応援もできないし自分も納得がいかないと言われた。ごもっともだ。彼とのことも仕事のことも、都心にいる方が当然有利であって、帰郷は明らかにリスクも高くデメリットの方が多かった。のに、確実に帰りたいという確固たる気持ちはあって、その理由をちゃんと把握できていないことに自分でも腹が立つ。誰が見ても私の行動・言動は意味が分からないと感じられてしまうと思う。この話をした時、彼にはもう別れ話を持ち出されると思っていたし、その覚悟はしていた。でも、言わないでくれた。それが逆に辛かった気持ちもあったけれど、頑張らなきゃなと思った。

大学から実家を出て5年間ほど一人暮らしをしてきたけれど、実家に帰りたいとここまで思ったのは今回が初めてだった。よほど自分の心が弱っていたのか、寂しかったのか、本当に自分でも謎なのだけれど、東京でまた仕事を頑張る自分を想像したときに「無理だ」と直感で思ってしまった。本当に情けない話だし、根性がなさすぎる。東京にいると、東京にいることで精一杯になって、自分を見失ってしまう。仕事も少ないし、不便なこともあるけれど、地元にいる方が自分らしく生きていけるような気がした。就職する前にそれが分からなかったのかと思われるかもしれないけれど、これまで仕事をしていた期間に後悔は一切ないし、日本の中心で働けてよかった、良い経験だったと思う。その過程があっての今だから、色々と思うことはあっても、この選択は間違っていなかった。何年後か分からないけれど、堂々とそう思える日が来るように、これから頑張って生きていく。

13年間一緒に過ごしてきた愛犬が亡くなりました。命日からちょうど一か月が経ちましたが、未だに嘘のようですし、嘘だったらどれだけ良いかと思うし、ずっと時間が止まっているような感覚です。

というのも、突然死に近いような状況でした。当日の朝までは元気で一緒に散歩もしたのです。徐々に体調が悪くなり、夜中に救急で病院に連れて行き診てもらったものの、命を取りとめることはできませんでした。死因は何らかの中毒の可能性が高いと言われましたが、拾い食いをするような子ではなく、心当たりがどうしても見つからないまま分からず終いです。

分からないとなると、色々と考えてしまうものです。あれが悪かったんじゃないか、これのせいじゃないか、あの時ああしてれば、していなければ... と、後悔ばかりが募ります。いくら後悔したところで、仮に原因が分かったところで、あの子にまた会える訳ではないんですけどね。

私たちよりもはるかに小さな体で、大きな病気を二度経験しました。手術をしたり、毎週病院に通ったり、大変な治療でしたがそれを頑張って乗り越えました。病気が発覚した時、長くても2年くらいだと言われていました。

亡くなったその日は定期検査の日で、病院の先生とも「今日であれから2年経ったけど、まだまだ元気だし長生きしてほしいですね」と話していたところでした。まさかその日に亡くなってしまうなんて。頑張って病気を乗り越えたのに、それとは全く関係のないことで急に亡くなってしまうなんて。あまりにも突然のことで、未だにしっかりと受け入れることができません。この13年間、“ペット”というような概念はなく、立派な家族の一員として一緒に過ごしてきました。当時小学生だった私は今や社会人で、それだけの年月を共に生きてきたんだなあと改めて思いました。

まだ心にぽっかり穴が空いているような、世界に色がなくなってしまったような、そんな毎日です。外を歩いていて犬と散歩している人を見ると羨ましくて仕方がありません。いずれ別れの日が来ることはもちろん分かっていたけれど、こんなかたちで突然やってくるなんて思ってもみなかった。ただ見守ることしかできず、少しの間とは言え苦しい思いをさせてしまったこと、本当に本当にごめんねという気持ちでいっぱいです。苦しそうにしていた時の顔が忘れられません。痛かっただろうな、辛かっただろうな。何もしてあげられなかった。病院に連れて行っても、先生に頼ることしか、良くなることをただ祈ることしかできなかった。自分の無力さが悔しくてたまりませんでした。

前向きになっていかなければと思いながらも、やっぱりどうしてもネガティブな方に考えてしまいますね。いつもいた存在がなくなってしまうのは、当たり前だけど寂しいです。 無理にポジティブになろうなんてそんなことは不可能なので、今はこのままでもいいのかなとも思います。悲しいんだもの。辛いんだもの。今頃天国で楽しく過ごしている愛犬は情けない私を見て笑っているかもしれない。体は大きいくせに、心は人間の方が弱かったりするのかもしれない。13年間本当に色んなことがありましたが、いつもこの子には癒されて、元気をもらって、本当に幸せでした。この子はうちにいて幸せだったのだろうか。私たちは君に感謝の気持ちでいっぱいです。

いつか私が天国にいったとき、また一緒に過ごせますように。それまで少しの間待っていてね。

am 4:00

どうしようもなく、淋しい夜だった。
孤独から来るそれとは少しちがって、人のぬくもりや愛を感じてはいるものの、自分と誰かのあいだに分厚い膜のようなものが張っている感覚があった。
どんなに好きな人でも、親しい人でも、すべてが自分とぴったり合う人などいない。わたしのことを、まるっきり理解できるひとなどいない。逆もまた然り、わたしは誰かのことや、大好きな彼のことさえも、すべてを完璧に理解することは不可能なのだ。
自分以外の人間は、どう足掻いても自分以外の人間でしかない、というちょっとした絶望に近い気持ちになった。