隠れているもの

例えば小説なら、「小説を書こう」と思った人が書いたものしか読めないし、「絵を描こう」と思った人が描いた絵しか見れないし、「歌を歌おう」と思った人が歌った曲しか聴けないし、ブログだって些細なことかもしれないけれど「ブログを書こう」と思った人のブログしか読めない。

そう思わなかった人たちの作ったものは、実はものすごく面白いかもしれないのに。

そんなことに気付いた私は、なんだかものすごく絶望的な気持ちになってしまったのであった。

Signal to Noise

相変わらず毎日仕事が嫌でしょうがない私です。そんなの誰だって嫌だろうけど。みんな嫌だと思いながらも行っているんだ、仕事なんてそんなもんだ、だから頑張ろう。本当にそれでいいのか?というのが今。

話は変わって昨日はTKのライブに行ってきました。

いつも一人で行っていたライブに、誰かと一緒に行けるだけでも嬉しいのに、それが恋人だなんて想像もしていなかったし本当に嬉しかった。時雨を好きでいて本当によかった。今まで行ったTKのライブはほとんどが全席指定の着席で、終始座ったままじっと観ていたけど、今回は最後の曲の前にTKが立ってもいいんだぜ的なことを仰ったのでみんなご起立。照明や映像がどんどん凄くなっているなと思う。TKがいることを忘れてしまうくらいにみとれてしまった。SignalはもしかしたらTKの中で一番好きかもしれない。特に初めのピアノが好きです。そしてBOBOさんはこの季節にあのスタイルで寒くないのか。

でもやっぱり次は時雨が見たい。

人間と会話したくない

昨日の朝は地震で起きました。早朝の地震は、寝惚けているのもあってとても焦ります。東京に来て思うことのひとつに地震が多いというのがある。これまで私は地震が少ない地域(半年に1度あるかないか。しかも震度はそれほど大きくない)で育ってきたため、ちょっと揺れただけでもかなりビビってしまいます。こちらの人たちは皆すごく慣れている様子で、それが良いのか悪いのかはさておき、すごいなあと思う。

本題に戻ると、私は生まれてこの方飲み会というものを楽しいと感じたことがない。楽しくない時間に馬鹿にならない金額をとられてしまうから大嫌いだ。楽しいと感じられないのは、お酒があまり飲めないからだと自分で思っていたけれど、どうやらそれだけではないらしい。

私は飲み会そのものが苦手なのです。もっと言うと、人間と会話するために設けられたその空間が苦手。めちゃくちゃ仲の良い友人同士での飲み会とかは全く苦痛ではないと思うので、飲む人にもよるかもしれない。これまでの経験上、飲み会の目的は大抵みんなの親睦を深めるためだけど、それが非常につらい。業務連絡とか、必要で意味のあるコミュニケーションは平気なのですが、それ以外のプライベートな話、雑談が苦手です。できることならしたくない。飲み会ではどの席に座ろうが誰ともうまく話せず、場に馴染めず、お手洗いに行ってきますという発言をする勇気もなく、しまいには全員敵に見えて一切なにも話さずひたすら飲み食いするという状況になります。どのメンバーで行っても必ず「ここに私はいない方が皆もっと楽しめるのではないか」と思うし、でも飲み会自体をひたすら断り続けるわけにもいかないので結局参加することになってその度に帰りながら死にたくなります。これから忘年会シーズン。地獄です。飲み会がない仕事はないのか。私はもう、ひたすらおまんじゅうを作るとかそういう地道な作業をこつこつする仕事がしたい。何も考えたくないし臨機応変な対応などしたくない。ロボットになりたい。